<世界大恐慌と日米>
(投稿がほとんどなかったこと、紹介すべき記事も極めて少なかったことから、急遽、新たなコラムを書き上げました。)
1 始めに
コラム#3674(未公開)の末尾で、「米国の人種主義的帝国主義の19世紀末の起源<と>・・・ 先の大戦時における米国の対日人種主義的帝国主義・・・の両者を結ぶミッシングリンクが、ジョン・マクマレーの・・・『平和はいかに失われたか』・・・だと思います。」と記したところです。
マクマレー描くところの、戦間期の米国の対極東政策が米国が故意につくりだしたミッシングリンクであったとすると、重大な過失によってつくりだしたミッシングリンクが大恐慌であったと私は考えています。
そのあたりのことを、大恐慌に関する日本語と英語のウィキペディアを一部対比的に用いてご説明しておこうと思います。
2 世界大恐慌と日米
(1)日本語ウィキペディア
≪原因≫
・・・1929年のウォール街の暴落は米国経済に大きな打撃を与えた。しかし当時は株式市場の役割が小さかったために被害の多くはアメリカ国内にとどまっており、当時の米国経済は循環的不況に耐えてきた実績もあった。不況が世界恐慌に繋がったのは、その後銀行倒産の連続による金融システムの停止に、FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)の金融政策の誤りが重なったためであった。
・・・共和党のフーヴァー大統領は古典的経済学の信奉者であり、国内経済において自由放任政策を採った。その一方で1930年にはスムート・ホーリー法を定めて保護貿易政策を採り、世界各国の恐慌を悪化させた。1931年、オーストリア最大の銀行が倒産してヨーロッパ経済の更なる悪化が予想されたことに対しようやくフーヴァーモラトリアムと称される支払い猶予を行ったが、既に手遅れであり恐慌は拡大する一方だった。
≪世界化≫
・・・植民地を持っている国(イギリス・フランス)やアメリカは金本位制からの離脱や高関税による経済ブロックによる自国通貨と産業の保護に努めたが、必ずしも成功しなかった。
ソビエト連邦や日本、ドイツといった全体主義国家の場合、産業統制により資源配分を国家が管理することで恐慌から脱したが、全体主義政党や軍部の台頭が宗主国諸国との軋轢を生んだ。